2008年1月17日 東京地方裁判所に提訴
1 敦化事件とは
敦化事件は,2004年7月23日,中国吉林省敦化の郊外の村を流れる小川で遊んでいた少年2人が旧日本軍が遺棄した毒ガス弾を拾い上げ漏れた毒ガス液に被毒した事件です。
2 事件の概要
北朝鮮との国境に近い吉林省敦化(トンカ,中国語読みでトゥンホヮ)の郊外の小川で遊んでいた周くん (1992年生まれ)と劉くん(1996年生まれ)が,2004年7月23日,偶然拾った毒ガス弾から漏れた毒ガス液を体につけてしまい被害にあった。
夏休みの初日2004年7月23日、敦化郊外の蓮花泡林場(昔は「馬鹿溝」といいました)というところに流れる小川で、幼なじみの劉くん、周くん、あと二人の少年が裸で水遊びをしていました。
そこで周くんが偶然土手に刺さっている砲弾を見つけ、引き抜いて拾って小枝で泥をこそげ取ったり砲弾の穴をほじくり返したりして遊んだ後砲弾を持ち運んだときに、周くんの太ももに毒ガス液が砲弾の弾頭の穴から数滴流れ落ちたのです。そして、周くんが砲弾の穴を小枝でほじくり返しているときに、小枝についた毒ガス液がはねて、劉くんの脚にもついてしまったのです。劉君は足についた毒ガス液を右手で拭いてしまい、毒ガス液が手にべっとりと付いてしまいました。
周君は家に帰ってから針で刺すような痛みに襲われ、水疱が脚にいくつもできました。劉君も水疱が脚にできたほか、毒ガス液がついた右手は指が腫れ上がり、真っ黒になってしまいました。
周君と劉君は敦化市立病院に61日間入院し、水疱をつぶして薬を塗ったり、点滴を打ったりという治療をしました。
周君も劉君も、チチハルの被害者と同様に、風邪を引きやすくなったり、持久力がなくなって走れなくなり、まわりの友達と一緒に遊んだり体育の授業を受けたりすることができなくなってしまいました。集中力がなくなって成績も落ちてしまいました。
本人たちはとてもけなげですが,親たちはこの病気がどんどんひどくなるのではないか,これからもいろいろな症状が出るのではないかととても不安に思っています。