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■事務局 

 〒123-4567 

 東京都足立区西新井4-27-9

  

 FAX: 03-3853-1209

 

■事務局長:大谷 猛夫 

 

 取組の目的 

 ① 被害者救済のためにできることをする

 ② 国に対し、被害者達の医療及び生活補償をするよう求めていく

 ③ 戦時中、毒ガス兵器を製造し、今現在の繁栄に至る加害企業の責任を追及する

Initiatives so far...


これまでの取り組みについて紹介します。

①裁判(事件発生地域:中国)

2つの先行訴訟、チチハル事件、トンカ事件…

被害者達は日本政府の責任を追及し、裁判所に提訴しました。

一番最初の裁判が1996年に始まり、一番最近の裁判が最高裁で棄却されたのは2014年。実に18年もの時間、私達は国の責任を問う闘いをしてきたことになります。

 

結局、判決は国の責任を認めませんでした。

しかもその理由は、“たくさん捨ててきたので、事故を防ぐ責任は日本政府にはない”というあまりに無責任なものでした。


先行訴訟


第1次訴訟

1996年12月9日提訴、請求金額は、被害者一人につき2000万円

 

① 松花江紅旗09号毒ガス事件

(1974年10月20日発生)


黒竜江省佳木斯市において浚渫作業中の船が毒ガス弾を巻き上げてしまい作業員らが被害を受けた。

原告3名

 

② 牡丹江市光華街毒ガス事件

(1982年7月16日発生)


黒竜江省牡丹江市において下水道工事中に毒ガス缶を発見。中から液体が噴き出すなどして周りの作業員が被害を受けた。

原告4名

 

第2次訴訟

1997年10月16日提訴、請求金額は、被害者一人につき2000万円(但し、李原告、王原告については各1000万円)


① 黒竜江師範専科大学毒ガス事件  

  (1950年8月24日~25日発生)

 

黒竜江省チチハル市内において発見された毒ガス缶の液体を黒竜江師範専科大学の医師が調査中被害にあった。
原告1名


② 拝泉県龍泉鎮事件

  (1976年5月10日頃発生)

 

黒竜江省拝泉県において、鉄くず処理中、砲弾の中から毒ガスの液体が噴き出して作業中の農民が死傷した。

原告1名


③ チチハル市興隆街毒ガス事件

  (1987年10月17日~18日発生)

 

チチハル市フラルキ区の建築現場から発見された毒ガス缶を、医師や油の業者が調査中に触れたり、吸い込んだりして被害にあった。
原告2名


原告らの要求

 

第1

原告ら及び家族の人生を狂わせた原因を作り出した日本国が、原告らに対し真撃な謝罪をすること

第2

日本国が責任を持って原告らに対する賠償を行うこと

第3

医療ケアなど原告らの人生に対する支援を行うこと

第4

日本国が毒ガス製造・使用した歴史事実を未来の記憶に残し、二度と毒ガスによる被害者をつくらないこと

チチハル遺棄毒ガス被害訴訟


1. 訴状の概要(2007年1月25日提訴)


① 事件名 国家賠償請求訴訟
② 係属裁判所 東京地方裁判所(民事13部)
③ 当事者 原告 本件生存被害者43名及び死亡被害者の遺族5名の合計48名
被告 国

 

2. 「請求の趣旨」(訴状において原告が求めている裁判の内容)


現行の制度では、原告らが本来望む医療・生活補償制度の制定を求めることはできないため、本件訴訟では国家賠償請求をしています。
具体的には、本件の直接被害者である原告ら43名については、1人当たり3300万円、本件により死亡した被害者の遺族である原告5名については、5名全員で1540万円、の賠償を求める形を取っています。

 

3. 「請求の原因」(訴状において原告らが2の裁判を求める理由)

 

① 化学兵器の遺棄という先行行為に基づく危険除去の作為義務
そもそも、本件の原因は、旧日本軍が中国に配備した毒ガス兵器であり(日本政府も認める)、これは旧日本軍が敗戦時に遺棄したものです。
日本政府は、毒ガスという非人道的な兵器を製造・遺棄し、人の生命・身体に重大な危険を生ぜしめる行為を行った(先行行為)以上、その危険を除去し被害を防止すべき作為義務を負っていたものと言わねばなりません(危険除去の作為義務)。


② 日本政府は被害の予見ができたし、結果回避措置をとることもできた
日 本政府としては、中国各地で毒ガスを配備し敗戦時に遺棄を指示した以上、毒ガス被害発生の予見は可能でしたし(予見可能性)、毒ガスが遺棄された危険な地 域について情報収集をし中国政府に伝える等の措置をとれば本件のような毒ガスによる悲惨な事故発生を回避することも可能でした(結果回避可能性)。


③  しかるに、日本政府は、敗戦時から戦後60年余の間も、また前記の1999年の日中の覚書以後においても、毒ガスが遺棄されている地域について情報収集 をする等の努力をするどころか、却って毒ガス兵器に関する資料を焼却するなどして重要な情報を隠滅・隠蔽する行為を行い危険除去を困難にしてきたのです。
これは、前述した危険除去の作為義務に違反したものであり、日本政府が、被害救済の責任を負わねばならない理由はここにあります。

 

④ こうした違法行為により、原告らは、毒ガスによる、完治不可能で、進行性・遅発性の重大な身体的被害とともに、就労不能等の様々な社会的・精神的被害をも含めた全人生被害ともいうべき損害を被っており、日本政府はこれに対する責任を負わねばなりません。

事件の概要

 

2003年8月4日、中国黒龍江省チチハル市内において、団地の地下駐車場建設現場から5つのドラム缶が掘り出され、中から漏れた液体が周辺の土を真っ黒 に染めていました。掘り出された時点では、これが何の液体なのかわかるはずもありません。ドラム缶の撤去作業や、真っ黒な土の上で作業は続けられました。 その場所で、15人がドラム缶や土から液体を浴びてしまいました。さらに、工事現場の従業員が、くず鉄の再利用をする目的で、このドラム缶を近くの廃品回収所に持ち込んだ結果、ドラム缶を解体する作業に参加した10人が液体を浴びてしまいました。ドラム缶は、無害化処理のために化学工場へ運ばれましたが、この化学工場でも、1人がドラム缶に近づき、被害にあいました。

(彼らの被害については、「遺棄毒ガス被害について」で、詳しく触れています。)

notes:

日本政府による調査

「チチハル事件」発生後、日本政府は調査団を編成し、工事現場から発見されたドラム缶が旧日本軍の遺棄化学兵器のものであるか、調査をしました。その結果、ドラム缶の大きさ・形状・造りから、ドラム缶が旧日本軍の「きい剤補給容器Ⅰ型」と同一であること、内容物は旧日本軍が製造したびらん剤の「きい剤(マスタードとルイサイトの混合物)」と確認されました。

敦化(トンカ)遺棄毒ガス被害訴訟


2008年1月17日 東京地方裁判所に提訴

 

1 敦化事件とは

敦化事件は,2004年7月23日,中国吉林省敦化の郊外の村を流れる小川で遊んでいた少年2人が旧日本軍が遺棄した毒ガス弾を拾い上げ漏れた毒ガス液に被毒した事件です。

 

2 事件の概要

北朝鮮との国境に近い吉林省敦化(トンカ,中国語読みでトゥンホヮ)の郊外の小川で遊んでいた周くん (1992年生まれ)と劉くん(1996年生まれ)が,2004年7月23日,偶然拾った毒ガス弾から漏れた毒ガス液を体につけてしまい被害にあった。


 夏休みの初日2004年7月23日、敦化郊外の蓮花泡林場(昔は「馬鹿溝」といいました)というところに流れる小川で、幼なじみの劉くん、周くん、あと二人の少年が裸で水遊びをしていました。

 そこで周くんが偶然土手に刺さっている砲弾を見つけ、引き抜いて拾って小枝で泥をこそげ取ったり砲弾の穴をほじくり返したりして遊んだ後砲弾を持ち運んだときに、周くんの太ももに毒ガス液が砲弾の弾頭の穴から数滴流れ落ちたのです。そして、周くんが砲弾の穴を小枝でほじくり返しているときに、小枝についた毒ガス液がはねて、劉くんの脚にもついてしまったのです。劉君は足についた毒ガス液を右手で拭いてしまい、毒ガス液が手にべっとりと付いてしまいました。
 周君は家に帰ってから針で刺すような痛みに襲われ、水疱が脚にいくつもできました。劉君も水疱が脚にできたほか、毒ガス液がついた右手は指が腫れ上がり、真っ黒になってしまいました。
周君と劉君は敦化市立病院に61日間入院し、水疱をつぶして薬を塗ったり、点滴を打ったりという治療をしました。
 周君も劉君も、チチハルの被害者と同様に、風邪を引きやすくなったり、持久力がなくなって走れなくなり、まわりの友達と一緒に遊んだり体育の授業を受けたりすることができなくなってしまいました。集中力がなくなって成績も落ちてしまいました。
 本人たちはとてもけなげですが,親たちはこの病気がどんどんひどくなるのではないか,これからもいろいろな症状が出るのではないかととても不安に思っています。

notes:

ここでは、裁判になった事件のみ紹介していますが、

実際に日本国内には、裁判になっていないけれども、遺棄毒ガスによる被害が多数発生しています。

それらについては、「日本国内における事件概要」で触れています。

②検診活動への参加・協力


「CAREみらい基金」が行ってきた被害者の方々に対する2年に一度の検診活動に参加し、お手伝いをしてきました。

 

現在はNPO法人「日中未来平和基金」が主体となって、被害者たちが治療を受けられる体制作りをしているため、そこと連携をして、被害者たちの健康面のサポートを微力ながらしています。

③スタディーツアーの企画


2014.10. チチハル・ハルビンスタディーツアーで被害者のご自宅へ行った時の様子
2014.10. チチハル・ハルビンスタディーツアーで被害者のご自宅へ行った時の様子

国内では大久野島、中国ではハルビンの731罪証陳列館、チチハルの被害者宅や事故現場を訪ねたり、戦争体験者や被害者たちのお話を伺ったりするスタディーツアーを開催しています。その都度、新しい方々の参加があり、この問題を知ってもらう大切な機会となっています。


④政府交渉・要請


2014 年からの公害総行動参加を機に、外務省及び環境省に対し被害者達への医療補償及び生活支援をする よう訴え、話し合いを続けています。