日本国内でも旧日本軍の毒ガスによる被害が沢山発生しています。
※ ここに書かれているだけでも823件(うち死者11名、負傷者62名)だが、ごく一部にすぎない。書かれていない被害、そして死者も多く存在している。 「被災死」は「即死」を指し、被害を受けてから苦しみ続け、死に至った場合は「死」に含まれず、「被災負」扱いとなっている。さらに、国は被害者に対し、一切の補償をしていない。 |
日本国内
1951年〜 千葉県銚子沖、
漁民が毒ガスを引き上げ被害
2002年03月 神奈川県寒川、道路工事労働者が被害
2003年09月 茨城計神栖、井戸水使用者が被害
中国
1950年08月 黒竜江省チチハルで化学教師が被害
1974年10月 黒竜江省ジャムス、
浚渫作業の4人が被害
1976年05月 黒竜江省拝泉県で鉄くず処理中に被害
1982年07年 黒竜江省牡丹江、
道路工事作業の2人が被害
1987年10月 黒竜江省チチハルで調査中に医師が被害
2003年08月 黒竜江省チチハル市で44人の被害
2004年07月 吉林省敦化で、少年2人の被害
※ 戦時中:
陸軍造兵廠・忠海兵器製造所(広島県大久野島)、曽根兵器製造所(北九州市)
相模海軍工廠・寒川本廠、平塚化学実験部
において、毒ガスの充填、製造にかかわった労働者達が被毒している。
■ 毒ガス製造、充填にかかわった軍属、工員、微用工、動員学徒等の被災事例
① 広島県忠海、大久野島、福岡県北九州市曽根
陸軍の毒ガス製造工場であった広島県の大久野島(陸軍造兵廠・忠海兵器製造所)と、毒ガスの充填所だった福岡県曽根(陸軍造兵廠曽根兵器製造所)では、日中戦争の拡大とともに毒ガスの生産に従事する労働者の毒ガス被害は、後を絶たず、戦後になって、その後遺症で数千名が被害を訴えた。
大久野島では6,800の労働者のうち、入通院4,200名。
1984年には健康手帳保持者966名が死亡。
さらに、現在では認定520名、一般障害者280名の800名が後遺症に苦しんでいる。(2013年現在)
曽根充填所では約1,000名の工員、微用工、動員学徒が働かされていたが、大久野島での健康手帳・医療支援から遅れること40年、1990年代になって、約300名が医療支援を受けることができた。しかし、後遺症の苦しみは全身に及ぶ。
② 相模海軍工廠・寒川本廠、海軍技術研究所・平塚
最大3,000名以上の徴用工、動員学徒、女子挺身隊、そして朝鮮から強制連行された人達が毒ガスを含む化学戦の製造に従事させられ毒ガス等により被災した。
■ 漁師被災の事例(千葉県銚子・銚子沖)
1951年04月〜2002年03月まで負傷者129名、死者3名。
敗戦後、米軍によって関東周辺に保管されていた旧軍の毒ガスを銚子沖に投棄、毒ガス弾や鉄製のガス容器が漁師達の網にかかり、毒ガスイペリットを浴び、被災する事例が、後を絶たない。2000年(平成22年)まで発見された毒ガスの処理は、無毒化処理ではなく、海洋投棄であるため、漁師等の二次、三次被害と海洋汚染を招いている。尚、被害者である漁師達に対する恒久的な医療や生活補償は、ほとんどないに等しい。
漁師の被災事例は、全国に及んでいる。
■ 道路工事労働者被災の事例(神奈川県寒川)
2002年9月25日〜30日にかけて国交省さがみ縦貫道建設現場(寒川町)で作業員11名がビラン性毒ガス・イペリット(マスタード)と催涙ガス・クロルアセトフェノンの入ったビール瓶(キリンビールと書かれている)の破壊により被災。発表は11月。被害者達はその10日後に病院へ。
■ 汚染地下水飲用被災の事例(茨城県神栖市)
周辺住民達は、1990年から健康被害や体調不良を訴えていた。2000年に7名が入院するも原因は不明とされていた。2003年03月、茨城県神栖町(現・神栖市)で、旧日本軍の毒ガス成分に由来する有機ヒ素に化合物による地下水の汚染で、木崎地区(「A地区」)の飲用井戸水から環境基準の450倍の有機ヒ素が検出された。(旧日本軍の毒ガス・ジフェニルシアノアルシン(嘔吐剤)、ジフェニルクロロアルシンの中間原料、ジフェニルアルシン酸(DPAA)と発表。)さらに、2005年01月、井戸周辺の土壌調査で基準の1700倍の有機ヒ素が検出されたことにより、発掘作業が開始され、ヒ素を含むコンクリートの塊が発見された。2005年07月、コンクリートの塊に含まれていた空き缶の製造番号から1993年以降に投棄されたものと考えられた。
木崎地区の汚染発覚後、木崎地区から西へ800mの所にある大野原地区(「B地区」)でも汚染が判明し、健康被害が出ていることを確認。しかし、環境省は、A地区もB地区も汚染源はヒ素入りのコンクリート塊であり、さらに、地下水もA地区からB地区に流れると断定しているが、そもそもB地区の原因物質の解明自体行っていない。それどころか、ヒ素入りのコンクリート塊(周辺土壌を含め2,100t)を鹿島共同再資源センターで、他の産廃と混ぜて、900℃で焼却処分し「安全に処分した」と発表。